今回はスタッフの労働時間と有給休暇を守るの記事の補足です。実際問題として、すでに開業してある程度時間が経過している先生は、どのように考えるべきかという問題について、考えていこうと思います。
開業後に気づく「有給休暇問題」
すでに何年も開業しており、複数のスタッフを抱えるクリニックで、有給休暇をほとんど与えてこなかった場合、どのように対応すべきかは非常に悩ましい問題です。スタッフが保有している有給休暇の価値は、金額に換算すると意外に大きく、経営規模によっては数百万円単位に及ぶこともあります。スタッフにとっては当然の「権利」ですが、経営者にとっては「潜在的な負債」でもあり、これを一度に行使されると資金繰りや診療体制に少なからず影響が出ることになります。
急な「有給取得の申し出」にどう対応するか
実際に最も困るのは、スタッフの一人がどこかで「有給休暇は法律上労働者の権利なので取得できる」という情報を得て、それを他のスタッフに共有し、「権利として取らせてください」と一斉に申し出てくるケースです。法律上、経営者がこれを拒否することはできません。ただし、「明日から1週間休みます」といった突然の申し出は業務に支障が出るため、話し合いによってスケジュールを調整することは可能です。問題は「これから計画的に月1〜2日ずつ取得していきたい」といった段階的な希望の場合で、このようなケースでは原則として拒否することはできません。つまり、現実的には柔軟な運用で対応していくしかありません。
まずは「現状を可視化する」ところから始める
こうした状況を是正するには、まず現状を正確に把握することが第一歩になります。過去の勤務実績をもとに、各スタッフにどれだけの有給休暇が発生し、どの程度残っているのかをリスト化し、“見える化”する。これにより、実際にどれだけの「未消化分」を抱えているのかが明確になり、経営への影響を冷静に見積もることができます。有給休暇には法的な有効期限があり、発生から2年で時効になります。したがって、5年以上勤務しているスタッフでも、5年前の有給を遡って請求することはできず、過去2年分までが有効です。見たくない現実ではありますが、まずはフラットに把握することが経営判断の前提になります。
方針を立てる ― プランAとプランB
状況を整理した上で、次に考えるべきは「どのような方針で臨むか」です。ここでは現実的な対応として、二つの方向性が考えられます。ひとつはすべてを開示して是正を進める「プランA」、もうひとつは状況を把握した上で慎重に様子を見る「プランB」です。
プランA:すべての情報を開示し、有給休暇を適正に運用する
プランAは、スタッフに有給休暇の状況をすべて開示し、制度の正しい運用へと舵を切る方法です。もちろん「一度に全員が取得すると診療が止まってしまう」という現実的な問題がありますから、その点は正直に伝え、「月に何日ずつ」「半年以内に何日」というように段階的に消化してもらうよう話し合うことが大切です。短期的には経営的な負担が発生しますが、長期的に見れば職場が制度的に健全な状態になり、信頼関係の構築や採用面でのプラスにもつながります。
こちらは先生にとっては、痛みを伴う方向転換にはなりますが、長期的に見れば健全な運営に結びつき、スタッフとの信頼関係においてもプラスになると考えられ、結果スタッフ定着率の向上という目に見える利益に結びつく可能性もあります。
プランB:現状を整理し、段階的に制度を整える(法的義務に留意)
プランBは、現状を正確に把握した上で、すぐには情報をすべて開示せず、ひとまずは、今後の対応方針を慎重に検討する方法です。有給休暇をすべて金額換算すると、場合によっては数百万円単位の潜在的負債になることもあり、すぐに全員分を消化してもらうのは現実的に難しいケースもあります。そのため、まずは内部で勤務データを整理し、スタッフごとの有給発生状況と残日数を正確に把握することが出発点となります。
ただし、ここで注意しなければならないのは、2019年4月の労働基準法改正以降、年10日以上の有給休暇が付与される労働者(いわゆる常勤と一部の非常勤)には、少なくとも年5日の有給休暇を確実に取得させる義務が事業者に課されているという点です(労働基準法第39条第7項)。この「年5日の取得義務」は、本人の希望に関わらず、事業者側が計画的付与などの仕組みを通じて取得を確保しなければならないもので、違反すると行政指導や罰則の対象となる場合もあります。したがって、上記のスタッフについてはこの法的義務を踏まえ、最低限の取得を確実に担保する仕組みを設ける必要があります。
一方で、非常勤や短時間勤務のスタッフについては、勤務日数や契約形態によって有給の付与日数が異なるため、現場ごとに柔軟に対応を検討することが求められます。現行法上、「有給を積極的に案内しなければならない」という雇用主の義務までは明確に定められていませんが、少なくとも権利を不当に制限したり、取得を妨げたりすることはできません。そのため、現時点ではまず情報を整理し、制度運用の方向性を整える準備段階とするのが現実的でしょう。
そして今後の新規採用や雇用設計では、有給休暇の発生を前提にコストを組み込み、制度として無理のない形で運用できるようにしておくことが重要です。
このプランBでも、いずれかの段階でプランAに移行することが現実的に望ましいとは思いますが、経営者の立場では、それが難しいことは痛いほど分かります。少人数のクリニックや、開業から間もない施設であれば早めの是正も可能ですが、規模が大きく年数が経過している場合は、事実上非常に困難だと推察します。
状況を正そうとした結果、経営が傾き、結果的にクリニックの存続自体が危うくなれば、スタッフにとっても不幸な結果になります。これでは本末転倒です。規模が大きく年数が経過している場合については私もどうするべきが、なかなか有効な結論が出せないというのが、現時点での正直なところです。申し訳ありません。
