開業医というのは、精神的な負荷が非常に大きい職業です。診療そのものの責任に加え、経営という側面も担うため、日々の判断や対応において常に緊張感が求められます。
その中で、心が折れそうになる瞬間というのは、誰にでもあるのではないでしょうか。私自身も例外ではなく、開業準備の段階から、そして開業後の今に至るまで、何度もそのような局面を経験してきました。
今回は、そうしたときにどのように気持ちを保ち、立て直してきたかを、開業医としての実感に基づいて整理してみたいと思います。

開業準備の時点で感じた精神的負担

開業の準備は、想像以上に長く、そして細部まで神経を使う作業です。
私が本格的に動き出したのは開業の約1年前でした。物件の当たりをつけ、予算を決め、電子カルテも複数社を比較検討しました。当時はまだ「ミニマム開業」という言葉は一般的ではありませんでしたが、私はできる限りリスクを抑え、小規模で堅実に始めようと考えていました。

開業のスケジュールは退職時期から逆算して組み立てましたが、内装工事の着工が遅れ、想定外の空白期間が生じました。2ヶ月ちょっとぽっかり空いてしまい、その間の焦燥感は大きく、何度も心が折れそうになりました。
しかし、いったん動き出してしまえば、もはや立ち止まることはできません。「乗りかかった船」として、ひとつずつ問題を整理しながら進めていくしかありませんでした。

開業初期に直面する現実と経済的な重圧

開業を迎えると、「ここまで来た」と感じる反面、現実の厳しさに直面します。
特に最初の1か月ほどは患者がほとんど来ず、1日中事務作業をして終わる日もありました。ある程度の想定はしていたとはいえ、実際に経験すると精神的な負担は想像以上に大きいものです。
最も重くのしかかるのはやはり「お金の問題」です。資金の流出だけが続く状況では、焦りや不安が強くなります。経営者としての責任を痛感すると同時に、医師でありながら経済的リスクを負っているという現実にも向き合わざるを得ませんでした。

コロナ禍の開業とトラブルからの学び

私の開業は、ちょうど新型コロナウイルス感染症の流行期に重なりました。発熱外来の需要が高まり、患者数は一時的に増えましたが、その分トラブルも多く発生しました。
患者や家族から厳しい言葉を受けることもあり、精神的な負担は非常に大きいものでした。そうした中で痛感したのは、「受けられないものは受けない」という姿勢の重要性です。

完全予約制を導入し、診療の敷居をあえて少し高めに設定しました。重症例は予約の段階で病院受診をお願いするなど、線引きを明確にしました。ホームページや予約画面には「当院で可能なこと」「当院で対応できないこと」を明記し、患者とのミスマッチを防ぐようにしました。結果として、トラブルは確実に減少しました。

精神科領域の対応についても、最初は試行錯誤の連続でした。意外でしたが一般内科にもメンタル疾患の患者相談は思いの外あるものです。最初は軽度の不眠などに対して処方を行っていた時期もありましたが、実際には専門的な治療が必要な方も多く、双方にとって不幸な結果となることが少なくありませんでした。

 現在は、精神科・心療内科への紹介を徹底するようにしています。これにより、医療の質を維持しつつ、自身のストレスも大きく軽減されました。
このような運用の最適化は、やってみなければ分からない部分も多く、やはり「走りながら修正する」しかないと感じています。

経営の安定とともに生じる新たな困難

開業して数年が経過すると、一見安定したように見えても、別の種類の困難が訪れます。
診療報酬の上昇が見込めない一方で、物価や維持費は上昇を続けています。景気が悪化すれば受診控えも起こります。売上は減少し、コストは増加する。
こうした構造的な厳しさが続く中で、経営的なストレスはむしろ増すこともあります。

人間関係や患者対応の悩みもありますが、開業医にとって最も重いのはやはり資金面の課題です。
資金に余裕があれば多くの問題は解決しますし、逆に資金が不足すると、すべての判断が重くなります。
小規模なクリニックでは、人事や設備よりもまず資金繰りが最大の関心事となることが多いのではないでしょうか。

折れそうなときに支えとなったもの

精神的に追い込まれたとき、私が意識的に行っていたのは経営者の本を読むことでした。
経営者や起業家の書籍を読むことで、自分以外にも困難と闘っている人がいると知り、少し気持ちが楽になることもありましたし、思いがけないヒントを得ることもありました。敢えて対応できることを絞り、患者数を制限する考え方に出会ったのもこの頃です。(参考記事→開業に伴い読んだ本

同じ立場の開業医同士で支え合える関係があれば理想的ですが、私の環境ではそれが難しく、結局は自分の中で整理していくしかありませんでした。しかし結局のところ多くの開業医が孤独の中で、最終責任者としての重圧を背負いながら日々の診療を行っているのだと思います。

つらい状況では、完璧を求めず、「ごまかしながらでも前に進む」姿勢が重要だと感じます。
抱え込みすぎると心身のバランスを崩します。経営者自身が倒れてしまえば、診療所の存続そのものが危うくなります。
だからこそ、淡々と続けること、そして時には「やり過ごす」という姿勢が必要なのだと思います。

日常の中での実践と自己管理

私が開業後に取り入れて良かったと感じるのは、運動の習慣化です。ほんとうに今更何をという話ですが、思いの外有効でした。
開業当初、私は家と職場の往復だけの生活で、運動らしい運動はほとんどしていませんでした。
しかし、心身の健康を保つためには、体を動かすことが不可欠です。
スポーツジムに通い、軽い運動をした後にサウナや水風呂に入ることで、少しずつ気持ちを切り替えることができました。劇的な変化ではありませんが、明らかに気分転換になります。

また、意識的に休暇を取ることも大切です。規模の小さなクリニックであれば、スタッフに事前に相談して数日休みを調整することも可能です。平日に思い切って休みを取り、家族と旅行に行くこともありました。これは私を普段支えてくれる家族にとっても気分転換になったと思います。

開業医の仕事は長期戦です。10年、20年というスパンで考えれば、数日休んだところで何も変わりません。無理をせず、焦らず、自分のペースで続けていくことが、結果的には最も重要だと感じます。

健康を失えばすべてが終わる

実際のところ、開業医の先生で比較的若くして急に亡くなられる方は少なくありません。
保険医新聞などを見ていても、まだ50代にも満たない先生の訃報を目にすることがあります。
おそらく、多くの場合は体を壊してしまったのだと思います。
どんなに経営が順調でも、どんなに収入があっても、自分自身が倒れてしまえば何も残りません。
やはり最も大切なのは、心身の健康を保つことだと感じます。

私自身、細く長くでも続けていくほうが、最終的には確実に利益があると思っています。
走りすぎず、焦らず、長く続ける。そのほうが結果的には自分にも患者さんにも良い。
これは自分自身への戒めでもありますが、「無理をしないこと」こそ、最も大切なのだと今は思います。

SNS時代における「比較」の罠

現代はSNSが生活に深く入り込み、他者との比較を避けることが難しい時代です。
特に医師の中には、積極的に発信している方も多く、華やかな生活や成功が目に入りやすい環境になっています。Instagramなどを見ていると、「こんなに稼いで、こんなに豊かな生活をしているのか」と感じるような情報があふれています。

しかし、そうしたものを見過ぎると、どうしても気持ちが疲れてしまいます。
私自身はSNSからは距離を置いていますが、それでもそうした情報は自然に入ってきます。
だからこそ、あえて「見ない」「比べない」ことも大切だと思います。
他人と比べても、得るものはほとんどありません。
むしろ、精神衛生のためには、距離を置いた方が良いと感じます。

失敗しても、命も免許も失わない

最終的にクリニックの経営がうまくいかなかったとしても、私たち医師には「医師免許」があります。
万が一、多額の借金を抱え、債務整理や自己破産をすることになっても、医師免許を取り上げられるわけではありません。
もちろん経営に失敗すれば苦しい時期はありますが、命を取られるわけでもなく、免許を失うわけでもない。だからこそ、最終的には「何とかなる」と考えてもいいのではないかと思います。

私たちには、幸いにも、最低限のセーフティーネットがあります。
どんなに辛くても、再び立ち上がることは可能です。
「もうだめかもしれない」と思う時でも、医師免許と健康さえあれば、必ずやり直せる。
そのことを忘れずにいれば、最悪の状況でも、心のどこかに希望を残しておけるのではないかと思います。

「いつ辞めてもいい」という選択肢を持つ

借金を返し終えた時点で、もし疲れてしまったのなら、開業医はもうやめてもいいと思います。
無理に続ける必要はありません。開業医をやめて、負荷を調整した勤務医に戻るという選択肢も、まったく悪いことではありません。
実際、それで生活が安定し、心が楽になるのであれば、それは立派な決断です。

最悪なのは、頑張りすぎて心身を壊してしまい、勤務医に戻ることすらできなくなることです。
医師にとって本当に避けるべきなのは、経営の失敗ではなく、「働けなくなること」です。医師免許の価値は健康とセットです。働けなくなってしまえば、医師免許も専門医資格も博士号も何も意味がなくなってしまいます。それは開業医だけでなく、勤務医にも共通することだと思います。

医師免許と健康――この二つがあれば何とかなる

私自身、どれだけ状況が厳しくても、「医師免許と健康さえあれば何とかなる」と思うようにしています。
失敗しても再起は可能ですし、働ける心身があれば、もう一度立ち上がることができます。
そして、医者の場合は普通に働けるだけで、そこそこの良い暮らしはできるはずです。

だからこそ、自分を追い詰めすぎないことです。
心身を壊してしまえば、すべてが終わります。
どんな状況でも、最後に守るべきは「自分の健康」に尽きると思います。

今回の記事は、先生には釈迦に説法のような内容になり申し訳ありません。でも本当に追い詰められると当たり前すぎることが、本当に見えなくなるのです。これは私の実体験です。どうか先生ご自身の心身の健康を最優先にして、生きていって頂きたいと思います。