開業の準備というのは、本当にいろいろな変数が絡み合っていて、想像以上に大変です。私自身が一番つらかったのは、準備の段階でした。今までの人生でも色々と困難はありましたが、人生でもっとも辛かった時期の一つだと思います。
準備が進み出すと物事は流れるように決まっていくのですが、その「最初の一歩」がとにかく難しい。特に「どこでやるか」「どの物件を借りるか」というところは、最初にして最大の難関です。場所が決まらなければ、内装も機器も、すべてが決められません。
私もこの段階で、ものすごく悩みました。時間があれば常に物件サイトを眺め、気になる物件があれば不動産屋に連絡をして、実際に見に行きました。何件も足を運び、話を聞き、シミュレーションを繰り返す日々でした。
「これだ!」と思う物件を見つけ、実際に申し込みまで進んだこともありました。ですが、まさかの展開で契約が流れてしまったのです。
当時は本当に落ち込みました。仕事も手につかず、頭が真っ白になるほどのショックでした。ですが、今振り返れば――あのとき契約が成立していたら、確実に潰れていた、と心から思います。結果的に「断られて良かった」と心底感じています。
今回はこの経験談を共有させていただきます。
駅チカ・新築・好条件――でも落ちて良かった物件
ある日、目に飛び込んできた物件がありました。スケルトン状態で自由度が高く、広さも設備も私の希望にぴったり。しかも駅から徒歩1分以内という超好立地。
内見もしたうえで、「これはもう勝負をかけるしかない!」そう思い、申し込みをしました。
当初はフロアを2分割して貸す予定で、片側なら家賃は約30万円。高めではあるけれどギリギリなんとかなる水準でした。立地を考えれば、広告宣伝費の節約にもつながるし、十分に勝算があると踏んでいたのです。
しかし突然、大家さんの方針が変わり「ワンフロア丸ごとでしか貸さない」と言われてしまいました。家賃は一気に50万円以上。さすがに手が出せず、契約は破談に。その当時はかなりのショックでした。数日間は仕事も手につかず、前後の記憶が抜け落ちているほどです。
けれど、今だからこそはっきり言えます。借りていたら間違いなく死んでいたと。おそらく1年も持たずに資金ショートして、借金だけ残して終わっていたでしょう。あのとき契約が通らなかったことは、あとから振り返ると本当に幸運だったのです。
今の物件に出会えて
最終的に私は、今の物件にたどり着きました。最初に見たときは「正直微妙かな」と思っていた場所です。けれど、不動産屋さんの話を聞いたり、比較検討を重ねるうちに「実はここがいいかもしれない」と思えるようになりました。
結果的に、今のクリニックは家賃が最初の物件の半額ほどで済んでいます。固定費を抑えられているからこそ、今の診療スタイルが成立しているのです。もし最初の高額物件を契約していたら、診療時間を目一杯増やし、スタッフを雇い、無理に回すしかなかったでしょう。今のようなペースでは到底やっていけなかったはずです。もしくは、大借金を抱えて資金だけ失い、残りの医師人生を借金返済に追われるようなことになっていたと思います。そうならずに済んだことに、心から感謝しています。
うまくいかなくても、それが良いこともある
準備段階では「ダメになった」「うまくいかない」と落ち込むことが必ずあります。私もそうでした。ですが、後から振り返ると「失敗だと思ったことが救いになっていた」ケースも意外とあるのです。
まさに「人間万事塞翁が馬」です。その時は辛くても、後で見れば「あのときうまくいかなくて良かった」と思えることがある。だからこそ、準備がうまく進まないときも、必要以上に自分を追い詰める必要はないのだと思います。
これは開業に限ったことではなくたとえば、転職でも同じように「決まらなくて落ち込んだけれど、行かなくて正解だった」と思うことはあります。本当に人生はわからないものだとつくづく思います。
撤退は恥ではない
そしてもう一つ。開業準備を進めていても、「やっぱり無理だ」「今はやめておこう」と撤退するのは、全然恥ずかしいことではありません。
むしろ傷が浅いうちに撤退するのは、勇気のある戦略的な判断です。
「開業する」と周囲に宣言してしまったから、病院を辞めるときに「開業するので退職します」と言ってしまったから――そういう理由で後に引けなくなる先生も多いのですが、それで無理に突っ込んでしまえば、本当に取り返しがつかなくなることもあります。
開業はあくまで医師人生を豊かにするための手段のひとつであって、ゴールではありません。だからこそ「やめる」という選択肢も、十分に現実的で合理的なものだと思います。これは本当にお伝えしたいことであります。
まとめ
開業準備では、思い通りにいかないことが必ず起こります。その時は「もう終わった」と感じるくらいのショックを受けるかもしれません。しかし後から振り返れば、それは「助かった」「むしろ良かった」と思えることもありました。
私自身、あのとき駅チカの高額物件が契約できなくて救われました。だから今こうして診療を続けられているのです。
先生方も準備が思うように進まないときには、ぜひ「これは後で振り返ればプラスになるかもしれない」と少し肩の力を抜いて考えてみてください。
そして必要なら勇気を持って撤退することも大切です。開業は目的ではなく手段。自分の人生を守るための選択をしていただければと思います。
今回の私の経験談を共有させていただくことで、開業準備で思うように進まないときも、少しでも先生の気持ちが軽くなったら幸いです。
後日談
その後私が借りようとしていたあの物件は、どうなったかという話なのですが、結局、とある美容室がワンフロアを借りて営業しています。
家賃は月50万円ほどですから、年間にすると600万円。もちろん、他人の心配をしている場合ではないのですが、「かなり大変なのではないかな」と思う額です。家賃だけであれだけの固定費を毎月払い続けるのは相当な負担だろうと感じます。
おそらく、個人で借りているのではなく、法人や大きなグループが母体になっているのでしょう。資金的にも余裕があるからこそ成り立っているのだと思います。
正直に言えば、その当時は「少し負けたような気持ち」もありました。ただ、これは今の本心ですが、私は縁がなくて良かったと思います。やはり自分の器で扱えるものではなかったと。結果的に「断ってもらえた」ことで、私は救われました。
まさに、人生はひとつの出来事で良し悪しは判断できず、「人間万事塞翁が馬」なのだと思います。
